3作通して見て、改めて気になったこと。
「旅の仲間」のモリアの坑道で、後を追ってきたゴラムに気づいたフロドは、ゴラムを殺さなかったビルボを「情けない」といいます。その「情けない」を受けて、ガンダルフはフロドに、ビルボの「情け」がゴラムを生かし、ゴラムの存在がこの先、善か悪かはわからないがなにかの役割を担うという話をします。
「二つの塔」の冒頭で捕らえたゴラムの姿を見て、フロドはゴラムに「情け」をかけます。
原作ではサムも滅びの山で、剣でゴラムに切りつけたとき、命乞いをするゴラムに情けをかけて殺さずにおきます。
そして情けでゴラムを殺さなかったことで、指輪を滅びの火口に葬り去ることができたわけです。
「王の帰還」では「情け」の伏線があったことなどきれいさっぱりどこかにいってしまいました。
原作では指をなくし、血を流すフロドを見てサムが「おかわいそうに、こんな目に」と心配し、フロドが「ゴラムを許してやろう、あれのおかげで指輪を棄てることができたのだから」と答えるシーンがあり、ゴラムを生かしておいたことが指輪棄却につながっていることを思い出させてくれます。
せめてこのエピソードがあれば、ゴラムへの情けの伏線が生きてくるのになぁと思いますね。
FotRで示した伏線が生かされていないのは、アラゴルンも同じです。ボロミアに「白い都は私が守る」と約束したところで、アラゴルンはとるべき道を決めていたはず。ボロミアの腕当て(でいいのかな)を引き継ぎ、最後までそれをつけていたのですから、彼の遺志を果たそうと思っているからでしょう。にもかかわらず、王になることにいつまでも迷いを見せるのは、あの約束はなんだったんだ?という感じですね。私がボロミアなら「話が違う」と化けてでるでしょう。
つじつまがあわないというのではないですが、なにか芯が通った感じがしないのは、脚本をその場その場で書いていたことの弊害でしょうか。
SEE版に追加されたシーンがすべていいとは思わないし、冗長な部分も多いと思いますが、「旅の仲間」のロリアンの贈り物、「王の帰還」のサルマンの死は劇場公開版にいれてほしかったですね。
むしろ「王の帰還」のガンダルフと魔王の対決でガンダルフが負けてたり、ガンダルフがデネソールを悪しざまに言うシーンなどはないほうがいいよなぁ、と今回劇場公開版で再確認。
そうそう、「旅の仲間」のトンデモ字幕、DVDでは訂正されているので久しぶりに見ました。ボロミアの死のシーンやラストの「友情があるだろう」などはキョーレツなので覚えていましたが、それ以外もトホホな訳だらけで、改めてこりゃすごいわ…と実感しました。
back